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1月17日 [think]

1995年1月17日。

あれからもう15年も経つのですねー。
光陰矢の如しとはよく言ったもので、
本当に時の過ぎ去る速度の速いこと速いこと。

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当時の僕は京都で光琳社出版というアート系の出版社に勤める独身男性。
まだ30代に突入したばかりの男前な若造でした。
僕が結婚したのが1996年12月末ですから、ほぼその一年前。
まだ独身だった僕は当時の彼女(現奥さん)に一度目のプロポーズを条件付きで断られながらも、
勤める出版社で、事実上出版編集部の責任者となって頑張っていた頃でしたね。

その日も普通に丑三つ時に就寝して熟睡していました。
そして未明の5時45分頃。
突然の突き上げるような揺れで目を醒ましました。
寝転んだまま目を開けると、上半身と下半身が別々に揺れているようなウネる感覚。
ゴゴゴという激しい音とミシミシという音が続く中、
台所の方ではガシャンとなにかが落ちる音。
天井が、二日酔いでグニャ〜っと歪んでいるようなリアル歪み現象を見つめながら、
「これはでかいぞーー」と思っていました。

揺れが収まってすぐに枕元のTVを付けると、
すぐに地震速報が。
でも最初は大阪の堺とか丹波篠山とか、
そういう場所に大きな震度が出てるくらいで、
どれも4度程度の表示。
「そんなものなの?」
そう思いながらも、余震の続く中ずっとTVを見てたら
次第に被災状況が明らかになってきました。
現地のヘリ映像がどんどん飛び込んできます。
最初は大きな煙と燃える家々。
被害の状況を少しでも多く伝えようと、
朝のワイドショーはほとんど震災の報道でした。
中でも衝撃だったのは、倒壊した高速道路の映像。
「これは大変なことになったぞー」
神戸の友人に思いを馳せながらも、
連絡はもちろんつかない状態でした。
そして出社直前の9時前には、
最後まで震度の表示マークがなかった神戸にM7が。

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幸いにも、僕の直接の友人・知人には亡くなられた方は出ませんでした。
京都だったので、揺れは激しくとも、被害はほとんどなかったくらいです。
それでも、当時関西に住んでいて、あの震災を側で経験したことは心の奥に何かを植え付けるものです。
その年、「がんばろうKOBE」のスローガンの元、イチロー擁するオリックスブルーウェーブがリーグ優勝を果たしたことも懐かしい思い出です。

***********

そういうことも、
現実にそれを知らない自分の子供たちに伝えることは容易ではないんだな、
と常々思っていたのですが、
そんな最中、昨晩1月16日に素晴らしい番組が放送されました。

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『神戸新聞の七日間』。
嵐の櫻井翔くんをフィーチュアした再現ドラマに、
当時の神戸新聞の本当の主人公たちのインタビューや、
今まで掲載されてこなかった実際の写真を組んだドキュメント・ドラマです。
コンピュータシステムがダウン。
2本だけ残った電話で「なんとしても神戸新聞を出す!」という強い意志の元に立ち上がった人たちの、信じられないくらいに壮絶なドキュメント。
被災者にレンズを向けることがどういうことなのか。
大切な人を失うこととはどういうことなのか。
極限時に何を守り、何を行うべきなのか。
関わるすべての人たちの熱い想いに放送中、
ずっと涙が止まりませんでした。

昨年のエンタメ界を席巻した嵐の櫻井翔くんが主演を演じる意味。
それこそが、
「現実にそれを知らない人たちに伝えることは容易ではない」ことに大きな力を与えてくれるのだと思うのです。
子供たちはまっすぐに見入ることでしょう。
そしてあの震災がどんなものだったのか。
どうなってしまうのか。
そして信念に駆けた(懸けた)人たちの熱い想いをどう感じるのか。
助け合うこととはどういった姿勢で向き合うことなのか……
櫻井翔くんの力を借りて、
子供たちに伝わってくれたら、と心から思います。

阪神・淡路大震災。
大きな衝撃と悲しみを、
明日への希望の笑顔で乗り越えてきた多くの人々と共に。
今日は、6434名の魂に鎮魂を込めて
静かに過ごしたいと思います。

マハロ。マハロ。

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当時のナンバーで祈ります。


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