夕焼け [shonan]
僕は夕焼けの写真をあんまり撮らないんです。
いや、違うな。
正確に言うと、ほとんど残ってないんですよね。
素晴らしい夕焼けや夕暮れに出会うと感動するし、
身震いしたりよだれが垂れそうになるくらいに
美しい光景に出くわすこともありますから、
そんな時は必ず撮っちゃうんです。
携帯であろうとコンデジであろうと。
でも夕暮れ時の風景は、
写真に納まった途端にそれなりの美しい風景になっちゃうし、
どれも同じような写真になっちゃう、という感覚があるんですね。
同じような風景になるのは昼間の写真もそうなのにね。
それに、景色に感動して写真に収めてみるのだけれど、
目で今見ている風景とは全然違う風景にがっかりして消しちゃうことが多いんですよね。
もちろん僕の写真技術が至らないせいでもあるんですけれどね。
だから僕のiPhotoには夕焼けのデータがあまりないんですよ。
そういう昔からの経験の蓄積で
こと自分で撮った夕焼け写真に関しては、
僕は単純にいい写真だと思えないようにプログラムされちゃってるんですよね。
なので自分で撮った夕暮れ時の写真を
いい写真だなんて思ったことは一度もないわけです。
でもね、残る今まで撮った夕暮れ写真を眺めてると、
ほとんどがその写真を撮った時の記憶なんて薄れてるわけです。
そういう風景に出会ったという記憶はあっても、
今、それを生で見ているわけではないのでね。
感動の比較がもはや出来なくなってるんですよ。
そうなるとね。
残された写真の中の世界が独立して評価を求めてくるわけです。
つまりその写真の中の風景が美しいかどうか。
そうやってその世界を
生世界との比較なしでじっくり見てみるとね……
なんて綺麗なんでしょう。(笑)
自分が撮った夕暮れ時写真のくせに。
そこに残されたサンセットタイムの美しさは
どれもこれも感動するくらいに素晴らしく感じてしまいます。
そのほとんど全てが、僕が実際に見てた風景と違うことは僕がよく知っています。
でも、写真の世界は実際の風景のキリヌキではないのだと強く感じます。
一流の写真家の作品ならいざ知らず、
僕が撮るようなレベルの低い写真には、
そこに撮る者のなにかが宿る、とは思いません。
むしろ見る者のなにかが宿るのだと思うんですね。
美しいと素直に感じる心や、
自分の心象風景とのシンクロ、
見る時の精神状態など、
自分が時間を置いて見ただけでも写真の印象が違いますから。
案外、いいよね。w
見直したよ。w
サンセット時の徘徊がちょっとだけ増えるかもね。w
Mahalo!
Dan Fogelberg - Longer Than
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